『Empty sleeping』(呂青 監督)インタビュー
- 5月2日
- 読了時間: 8分

Axi(s)Rhythm:
作品制作の経緯についてお聞かせください。
呂:
今回の作品は、5年前に大学院の卒業制作として作りました。
当時はちょうどコロナ禍で、2022年の春頃から2年目に入って、ほとんど学校にも行けないような時期でした。
卒業制作のテーマが〈エッセイ映画〉だったので、「何を作ろうか」と考えていたんですが、その頃はずっと一人で家にいることが多くて、人と会う機会もほとんどなく、外で会話をすることもできないような、かなり閉塞的な時期だったんです。
その一方で、アルバイトでお店で働いていて、今回の作品の主人公になっている女性は、その同じ店の一階フロアで働いていた方でした。何度かすれ違ったことがあって、初めて映画を作るにあたって「この人は主人公として理想的だな」と感じて、声をかけて出演していただきました。
制作の過程では、その彼女と何度か会って、主に好きな映画や音楽の話をしていました。そうしたやり取りの中で、少しずつ「こういう映画にしようかな」というイメージが固まっていきました。
好きな映画からインスピレーションを受けたり、参考にしたりしながら、この作品を作っています。
Axi(s)Rhythm:
今回、キャストはお二人いらっしゃいますが、その中でUehara Nanaeさんと出会われて、監督とお二人で対話を重ねる中で、徐々に映画の骨格ができていった、ということですね。
呂:
あと、もう一人の男性の方が、部屋で床に寝転びながら喋っている内容は、当時よく読んでいたフェルナンド・ペソアの『不安の書』から引用しています。
ペソアはポルトガル・リスボンの作家なんですが、その頃読んでいた中で、男性の語っていたところが自分の心境と重なる部分があって、そのまま映画の中に取り入れています。
Axi(s)Rhythm:
作品をご覧になった方から、さまざまな言葉を寄せていただいているのですが、その中に「モノクロで描き出す二人の行動記録」と書かれていた方がいらっしゃいました。
確かに全編モノクロで描かれている印象がありますが、これは撮影段階からモノクロで撮られているのか、それとも編集の段階で処理されたものなのか――そのあたりも含めて、このモノクロの画面にされたのは?
呂:
もともと白黒の画を作ってみたいという思いがあって、さらに、色の少ない世界から色のある世界へとつながっていくような構成にしたいと考えていました。
そのとき、直感的に、最初はモノクロから始めて、だんだんと色が入っていくようなイメージが浮かんで、その流れで制作しました。
Axi(s)Rhythm:
先ほども触れましたが、もう一人、男性が出演されています。こちらのキャスティングに関してお伺いできますか?
呂:
こちらのキャスティングもなかなか大変で、最初はUeharaさんと何度か話をしながら、「どういう男性に惹かれるのか」といった理想の男性像を聞いていきました。
自分としても、Ueharaさんに興味を持ったポイントのひとつがそこだったので、キャスティングの際には、できるだけUeharaさんのタイプに近い方を探したいと考えていました。
その中で、Ueharaさんはロン毛や坊主の方がタイプだという話があって、最初はシネマプランナーズで募集をかけました。
その中から今回のTanakaさんが連絡をくださって、実際にカフェでお会いしたんですが、応募してくださった方の中で唯一の坊主の方で、これまでに映画出演の経験もあり、モデルとして活動されていたこともある方だったので、お願いすることにしました。
実際には、Ueharaさんの理想のタイプそのものではなかったかもしれないのですが、キャスティングにかけられる時間も限られていて、最終的にTanakaさんにお願いする形になりました。
Axi(s)Rhythm:
別の方からは「人と人が出会うとき」という言葉もいただいているんですが、よく見てみると、この映画の中で二人は本当に出会っているのか、それとも出会っていないのか、少し曖昧にも感じられます。
すれ違いは確かに描かれているんですが、その二人の微妙な関係性についてはいかがでしょうか?
呂:
最初から、そういう微妙な関係性を描きたいという意図がありました。映画の中でも、直接対面するような出会いはあまり入れたくなかったんです。
実際にUeharaさんと出会ったときも、同じアルバイト先ではあったんですが、その前から、たまたまインスタグラムでフォローしていて。Ueharaさんは音楽を作っている方で、当時よくインスタライブをされていました。
自分もそれを見ていて、ちょうど一人で過ごす時間が多かった時期でもあって、すごくいいなと感じていたんです。
映画の中で、男性が家でソファに座って話しているシーンがあるんですが、あの場面は少し分かりづらいかもしれませんが、後ろの壁にプロジェクターで女性の映像を投影しています。
あれはインスタライブの感覚を再現したくて、本当にスマートフォン越しに見ているような状況を作りたかったんです。そのイメージを観客にも伝えるために、壁への投影という形であのシーンを構成しました。
Axi(s)Rhythm:
「現実的なのに現実ではないような、誰かの夢を見ているような面白さを感じました」という言葉を寄せてくださった方がいるんですが、確かに、舞台は現実の東京ですし、シネコヤさんのような具体的な場所も映し出されていますよね。
呂:
シネコヤもUeharaさんの実家の近くで、本当に本人がよく通われていた映画館です。
Axi(s)Rhythm:
『Empty sleeping』というタイトルにもある通り、どこか夢のような感触がありますよね。
現実を映しているんだけれど、そこから少し浮遊していくような感覚が、個人的にもとても印象に残りました。
監督としても、そういった感触を意識して作られた部分はあるのでしょうか?
呂:
実際に使っている場所は、本当にUeharaさんのご自宅で、ドキュメンタリー的な要素も少し含まれています。
作品の中で、彼女が部屋で寝ているシーンがあるんですが、その場面で、入れ替わるようにTanakaさん――男性が画面に現れて追いかけていく展開になります。
あの部分では、夢なのか現実なのか分からないような感覚を表現したくて、彼女が寝ているシーンを撮りました。
現実とそうでないものが混ざり合っているような、はっきりしない感覚を表現したかったんです。
Axi(s)Rhythm:
また、「空っぽの睡眠は音楽を巡る夢を見る」という、非常に印象的な一文を寄せてくださった方もいらっしゃいました。
音楽との関係でいうと、Ueharaさんご自身が楽曲も制作されていますが、作品の中ではそれを前面に出して使っているわけではない、という印象を受けました。
むしろ、歌の入った楽曲というよりは、インストゥルメンタルのような音のあり方が、作品全体のトーンを形づくっているようにも感じました。
また、画面の中には音楽に関係する要素がいくつも散りばめられていて、例えば彼女の部屋には、曲名の下書きのようなメモや、ギターコードが書かれた紙が貼られていたりしますよね。
実際に音楽が鳴っているわけではないんですが、音楽の気配やイメージが画面の中に存在しているように感じられました。
そうした音楽と映像との関係性について、何か意識されていたことがあれば教えていただけますか?
呂:
もともと映画を作るうえで、音楽はとても大事な要素だと思っています。
今回使っている音楽も、シーンに合わせてお願いして作ってもらったものもあります。電車に乗っているシーンで流れる曲は、当時Ueharaさんのご実家でライブシーンを撮影した際に、即興で作られたものです。
今回の映画では、最初にいろいろな場所をロケハンして、ロケーションを決めてから、そこで何が生まれるかを考えていくという作り方をしています。なので、制作の中には即興的な要素も多く含まれています。
そうした部分が、音楽の即興性とも重なるところがあると感じていて、音楽と映像の即興性は、自分の映画制作においてとても重要な要素になっています。
その「即興性」を大切にしながら、音楽についても考えています。
Axi(s)Rhythm:
私からお伺いしたいのは『不安の書』についてです。正直、私はこれまで読んだことがなかったので、少し調べてみたのですが。
第266章(Fragmento 266)ですね。ネット上の翻訳で恐縮ですが、「私が初めてリスボンに来たとき、私たちが住んでいた上の階から、ピアノの音階が聞こえてきた」というような書き出しで始まる文章がありました。
『不安の書』のこの章は、映画とは少し違った印象を受けていて、ノスタルジアというよりは、失われた時間の象徴として、見ず知らずの少女のピアノの音が響いてくる、というような感触でした。
一方で『Empty sleeping』では、その「見ず知らずの少女の音楽」が、むしろポジティブに作用しているようにも感じられたのですが、この違いについてはどのようにお考えでしょうか?
呂:
その「ピアノの音階が聞こえてきた」という文章については、映画の雰囲気とは少し合っていない部分もあるように感じています。
ただ、その一節についてはUeharaさんとも話して、「この文章に合う音を作りたい」という発想から、ピアノの練習のような音を入れることにしました。
結果として、フェルナンド・ペソアが表現しようとしていたものとは、少しずれが生まれているのかもしれないとも思っています。
実際、作品を作ったあとになって、自分の中でも「少し違ったかもしれない」と感じる部分はありましたし、当時読んでいた翻訳自体も、もしかするとニュアンスが十分に合っていなかった可能性もあります。
この作品に関しては、その時点での翻訳と自分なりの理解をもとに、音楽や映像を組み立てていきました。
Axi(s)Rhythm:
むしろ、監督が元の文章をモチーフにしながら、独自の解釈で映像化されたのかな、というふうに感じました。
呂:
最初に文章を決めて、それをもとに撮影を進めていきました。
文章の感触が先にあって、そこから画やシーンを撮り始めた、という感じですね。
〔2025年11月26日(水)インタビュー より〕
【文責:Axi(s)Rhythm】



コメント