『JOKAI FRAME』(林ケイタ 監督)インタビュー
- 6月15日
- 読了時間: 6分

Axi(s)Rhythm:
作品制作の経緯についてお聞かせください。
林:
僕は普段、映像作品だけを作っているわけではなくて、空間の中に映像を投影する、いわゆるインスタレーションのようなことを長くやってきました。
その中で、空間と関わる作品のための投影素材や上映素材がかなり溜まってきたんですね。そういったものは、その場所との関係の中で一回きりで終わってしまうことが多いんですが、最近になって、それらを再発見してみたいという気持ちが出てきて、新しいものを撮るのではなく、過去の素材を組み替えて使うようになりました。
この『JOKAI FRAME』の「JOKAI=常懐」というのは、亡くなった母にゆかりのある建物の名前から取っています。あまり一般的には伝わらない名前なんですが、そういった背景があります。
その常懐荘という建物は和洋折衷の造りで、昭和初期に建てられ、小さな洋館に和室が共存しているような建物なんですね。そこでものを見ているうちに、一つの空間の中に異質なものが共存している状態に興味を持つようになりました。一つの日本和風建築の中に洋館があったり、その隣には畳の部屋が並んでいたりする。そういう二つの対比的な物事が同居する、みたいな視点に立つようになってきたんですね。
今回使っている素材は、もともと風景のインスタレーションで使っていたものです。建物の周辺や、風に揺れる木々などを撮った映像なんですが、中央のラインを挟んで上下で異なる風景をコラージュしたり、夕暮れと朝焼けを重ねたりと、違う時間や状況のものを一つの画面に混在させています。風景の差として、大きな違いは感じにくいかもしれませんが、実際には異なる要素を重ねています。
タイトルにある「FRAME」についてですが、これは以前から考えていたことで、映像も絵画も写真も、基本的には四角いフレームに収められますよね。なぜ四角でなければいけないのか、という疑問をずっと持っていて、その「囲う」という行為自体について改めて考えています。
この作品では、風景の上に横から窓のようなフレームが重なっていく構成になっています。窓やフレームというのは非常に人工的なもので、完全な四角という形は自然界にはなかなか存在しません。一方で、森や空、雲といったものは非常に有機的で、形が定まらないものです。
そうした予測不能な自然の動きと、人工的で固定された四角い形が重なり合うことで、異なる世界が同居するような感覚が生まれるのではないか。そういう画面を自分自身が見てみたい、という思いから、このように重ねていく構成にしています。
参加者A:
映像そのものがとても美しくて、思わず見入ってしまいました。
お話にもあったように、「見る」ということや「フレーム」ということについて、どこを切り取るのか、どこから何を見るのか――窓の内側から見るのか、それとも外に出て見るのか、といった点について、いろいろと考えさせられました。
映像としては非常に美しくて、心地よく見てしまった部分もあるのですが、そうしたテーマについても強く印象に残りました。
今回、インスタレーション作品の素材を映像として再構成されたとのことでしたので、元のインスタレーションではこれらの映像がどのように使われていたのか、どのような形で発表されていたのか、ぜひ伺ってみたいと思いました。
林:
確かに、インスタレーションの内容とも関わってきますね。
風景をみんなで考えよう、というようなテーマのグループ展をやったときに、金箔を使った日本画的な作品を制作している友人がいて、その方の展覧会でこの映像を使いました。
形式としては普通の絵画展なんですが、照明を当てるような感覚で映像を天井に投影する、という使い方をしていました。
ただ、その会場の画廊の天井がまったくフラットではなくて、でこぼこしていたり、照明のレールが出っ張っていたりするんですね。そのため、映像を上に投影すると、イメージが分解されてしまって、色や部分的に揺れる葉っぱだけが見えるような状態になる。
空のようでいて、まったく空ではない、というような見え方ですね。最初はそういう映し方をしていました。
参加者A:
想像していたインスタレーション作品とは全然違いました。天井に映されていたというのを想像していなかったので、面白かったです。
インスタレーションと映像を比較して鑑賞してみるとまた印象がちがったものになったのかなと思いました。
Axi(s)Rhythm:
今のお話だと、インスタレーションのときは天井自体が、ある意味でフレームになっていたわけですよね。
一方で、私たちが普段こうした映像作品を見るときは、スクリーンやモニターといった平面で見るのが一般的です。
その違いが、「見る」という行為そのものについて、いろいろと考えさせたり、想像を促したりする部分があるのかなと、お話を聞いていて感じました。
参加者B:
まず最初の印象として、境界線の上下にまったく異なる背景が映っていて、それぞれが美しいんですが、それらがふとした瞬間に別の背景と一体化して、混ざり合っていくような感覚があって、とても不思議だなと感じました。
うまく言葉にするのが難しいんですが、まず単純に景色がすごくきれいだということと、その背景同士が混ざっていくことで、どこか不思議な感覚を受けました。
林:
やっぱり、画を作ったり組み合わせたりしながら進めている時は、「これすごくいいな」と思う瞬間があるんですが、その感覚自体が信用できなくなるときもあるんですよね。
だんだん気持ち悪くなってくるというか、うまくハマりすぎて、逆に気分が悪くなるような感覚もあって。
そういう意味で、一つのものの中に、二つの要素がはらまれているんじゃないか、という疑問は常にあります。美しいという価値も、決して一つではなくて、人それぞれ違うものだと思いますし、その中にどこか反対の印象が生まれてしまう瞬間もあるのではないか、と制作中は考えたりしています。とはいえ、「綺麗だ」と言っていただけるのは、やっぱりとても嬉しいことです。
Axi(s)Rhythm:
ここ数年、個人的に映像について考える中で、「オーバーラップ」や「多重露光」といった表現について、あらためて「これは何なんだろう」とよく考えることがあります。
今回の作品でも、途中で映像が混ざり合っていくような場面がありましたが、うまく言葉にするのは難しいものの、ああいった表現こそ、映像でしか成り立たないものなのではないかと感じています。
この作品に限った話でも構いませんが、林さんご自身は、多重露光やオーバーラップといった表現について、どのように考えていらっしゃいますか。
林:
やっぱり、音楽との関係で考えることが多いですね。音楽って、二つの音が重なったときにぴったり合ったり、それぞれのパートが重なって、思いがけず調和したりすることがありますよね。
それと同じようなことが、映像でも起こり得るのか、というのが一つの関心です。つまり、二つの映像が重なったときに、音楽でいうような驚きのある調和が生まれるのかどうか、ということですね。
音楽では音が積み重なっていくわけですが、それに対応するものが、映像でいうオーバーラップだと思っています。なので、音楽のような重なりや調和を、映像のオーバーラップで実現できるのか――そこが自分にとってのテーマになっています。
Axi(s)Rhythm:
そういう音楽に例えていただくと分かりやすいなというところもあります。
オーバーラップ、多重露光っていうのは、作家さんによって多分使い方、考え方の違いがあるのかななという気もしてますので、お伺いした次第です。
〔2025年10月23日(木)オンラインミーティング より〕
【文責:Axi(s)Rhythm】



コメント