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『lastvision』(うえだしょうた 監督)インタビュー

  • 3 日前
  • 読了時間: 4分

Axi(s)Rhythm:

作品制作の経緯についてお聞かせください。


うえだ:

もともとこの作品は、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)に在学していたときの卒業制作です。制作の初期段階では秋刀魚はまったく登場しておらず、アニメーションの動きそのものにフォーカスしていました。

当時、特に興味を持っていたのは「物が何かに変化する途中の状態」や「何かになる前の状態」といった、いわゆるメタモルフォーゼと言われるものでした。そうしたアニメーションならではの面白さと、食物連鎖のようにあらゆるものがつながって生きているというテーマを組み合わせて、この作品を制作しました。


参加者A:

まず、単純にビジュアルから宇宙や生命といったものを感じました。そして『lastvision』というタイトルと映像の雰囲気から、超新星爆発――英語で言うとスーパーノヴァを連想しました。合わせて、映画『スーパーノヴァ』も思い出しました。その中で主人公が「超新星爆発」に触れるセリフがあります。余命いくばくもないことを悟った主人公の言葉です。

『last vision』というタイトルがどのような意図で付けられたのかは分かりませんが、もし最後に見る景色が超新星爆発だったとしたら、それはそれでいいのかもしれないな……と、そんなことを思いながら観ていました。


うえだ:

先ほどのお話を聞いて、その映画を調べてみようかなと思いました。

もともとこの作品では「命のつながり」、命が尽きてもまた別の命へと受け継がれていく流れをテーマにしていました。最後に秋刀魚が見ているのは、命が尽き、そこからまた新しい命が生まれていく――そうした大きな流れを描いていたつもりです。ただ、確かに最後に爆発のようなものを見ていた、という解釈もあるのかもしれないと感じました。

死に際に命の流れが一気に見える、とか、食べる/食べられるという関係の中で命がつながっていく。『last vision』の中でも、何かに吸収されたり分離されたりを繰り返す描写は、ある種の食物連鎖を表現していたのだと思います。

また個人的な体験ですが、子供の頃に水族館で魚同士が捕食する場面を目撃しました。魚が別の魚に食べられたと思ったら、一度口から飛び出して逃げたのですが、結局また飲み込まれてしまった。その光景が強く印象に残っていて、そうした記憶もこの作品に落とし込めればと思っていました。


参加者B:

プログラムAで上映された、うえだ監督の『rinnne』と合わせて考えると、新しく生まれる生命は、かつて死んだ生物でもあるわけですよね。作品の中に一瞬、胎児が形成される画が出てきますが、あれは過去を描いているのか、それとも未来を予知しているのか、と考えさせられました。

個人的には「生きている」ということ自体がとても怖いと思っています。子どもの頃は「死んだらどうなるのか」と考えますが、大人になると日々の忙しさに追われ、そうしたことを考えなくなってしまう。『rinnne』も、今回の『last vision』も、子どもの哲学のような響きを持っていると感じました。永井均さんの『子どものための哲学』という本がありますが、そういう感じを受けました。


うえだ:

まさに「子どもの哲学」というのは、僕自身が作品を制作する上で常に共通して抱えているテーマの一つです。特に、Aプログラムで上映していただいた『rinnne』と、この『lastvision』は制作時期が近かったこともあり、自分の中では連作のような位置づけです。どちらも「命のつながり」をテーマにしています。

僕自身、その「子供の哲学」的なところで、小学生の頃から「死」というものへの恐怖心がとても強く、それにずっと悩まされ続けてきました。生き物にとって最大の恐怖は「死」だと思いますが、それをどう咀嚼し、どう納得するのか。死は絶対にやってくるものですが、それを自分なりに理解したい、知りたい、納得したいという気持ちがずっとあります。

ただ、大人になるにつれて、それは納得というより、むしろ「諦め」に近い感覚に変わってきている部分もあります。それでも、できる限り「死」は向き合い続けたいと思っているテーマです。

〔2025年8月22日(金)オンラインミーティング より〕


【文責:Axi(s)Rhythm】



 
 
 

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