『scope』(うえだしょうた 監督)インタビュー
- 3 日前
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Axi(s)Rhythm:
作品制作の経緯についてお聞かせください。
うえだ:
最初は、この制作を始めた頃、仕事のほうがめちゃくちゃ忙しかったんです。それで鬱憤がすごく溜まっていて。
その鬱憤を晴らすように描き始めたというか、「アニメーション作品を作りたい」というところから描き始めたのが、本当に一番最初でした。作品自体も、一番冒頭のパートがそこでスタートしたんですけど。
当時、「PEAS」というアニメーションの上映会を毎月大阪で開催していました。そのうち、アニメーション映像の制作も上映会のチームで請け負うようになったんです。
その仕事で受けたものは自由に作れませんし、単純に自分の作品を作る時間も取れない状況になってしまって。
それで、「疲れてはいるけれど、寝る前には何か描く」と決めて始めました。それがある程度溜まってきたら、まとめて一つの作品の形にしていった、という感じです。
当時、僕自身はアニメーションを制作するときに、動きの気持ちよさみたいなところをすごく重視していました。
でも、それだけだと興味のある人にしか見てもらえないと思ったので、独りよがりにならないように、テーマを少し設定してみました。
とはいえ、アニメーションの動きが主体であるという点は変えずに作っています。
当時も今もそうなんですけど、作品を作るときは音楽的なイメージで構成していて、作品全体の流れを、なんとなくイントロがあって、Aメロ、Bメロ、サビ、アウトロ、みたいなイメージで組み立てています。
できるだけ見やすく、楽しんでもらえたらいいなと思いながら作っていました。
参加者A:
両手を合わせて開いているところをじっと見つめていると、小さなイメージが出てきて、それが線で広がっていくような、パーッと広がっていくような。
自分の心の中というか、魂の中にダイブしていくような、そういうイメージがありました。
線のアニメーションがだんだん拡大していって、最後にはやっぱり破綻していくような感じがあるんですよね。
それが、さっきのうえだ監督のお話を聞いていたら、「日常的にいろいろ溜まっているものがあって」というお話とつながって、「あ、そうか」と思ったんです。そんなイメージがありましたね。
あと、今のお話の中で、音楽的な作り方をされているということがありましたけど、実は僕もそこはすごく共感していまして。
音楽が展開していくような雰囲気は確かに感じるな、というふうに思いました。
うえだ:
アニメーションって、語源としてはラテン語の「アニマ」から始まっていて、「ものに命を与える」というところがスタートだと思うんです。
作品づくりもそうですけど、「自分の子ども」っていう表現をよくすると思うんですけど。
特に上映会をやっていた頃は、作品を見てもらうこととか、いろんな方の作品を見ること自体がコミュニケーションだなと思っていました。
そのコミュニケーションというものを考えたときに、外とコミュニケーションを取るためのものとして、「手」というモチーフは自分の中ですごく重要でした。
作品の始まりは鬱憤みたいなところではあったんですけど、上映会を通していろんな人に自分の作品を見てもらったり、逆にいろんな人の作品を見たりして、「こういうことを考えながら作ったのかな」とか、「この感覚、ちょっと分かるな」とか、そういうことを感じるようになりました。
そういうコミュニケーションの手段として作品を生み出すという意味もありますし、その象徴として「手」を使っていた、というところがあります。
あとは生命感というか、自分自身が制作するときには、アニメーションの語源でもある「ものに命を込める」という部分をずっと大事にしているので、そういうところはかなり意識して作っています。
参加者A:
生命感というお話を聞いて思い出したのが、前回(2025年)のAxi(s)Rhythmで上映された、うえだ監督の『last vision』です。
あの作品は、命がまさに終わろうとしている瞬間に見た、いろんなイメージを描いた作品でしたよね。
あれがまさに、今の「アニマ」というお話を聞いていて、そこにもシンクロしているのかなというふうに感じながら聞いていました。
参加者B:
僕はアナログ的なアニメーション制作についてはあまり詳しくないので、どういうふうに作っているのかなということが気になりました。
見た目としては、直感的には手描きでやられているのかな、それをスキャナーで取り込んでいるのかなと思ったんですけど、一方でデジタルっぽい加工もされているのかな、というところが印象に残っていて。
すごく細かい話で申し訳ないんですが、ノイズみたいなものがずっと同じ場所に入っているイメージがあって、そういうのはあえて直していないのかな、とか。
そのあたりがすごく良い味になっていたと思うんです。良い味というか、質感みたいなものがすごく伝わってくるなと思いました。
そういうところは、ご自身の中で、やろうと思えばきれいにできると思うんですけど、どの程度残すのか、どういう考え方でバランスを取って制作されているのか、そのあたりが少し気になりました。
うえだ:
そうですね。おっしゃる通り、あそこのノイズというか、ゴミは取ることもできたんです。
ただ、実写とアニメーションで大きく違うところとして、アニメーションは基本的に偶然性のない表現だと思っていて。
実写だと、カメラを据えて撮っているときに、たまたまいいタイミングで風が吹いたとか、鳥が飛んでいったとか、そういう偶然が作品に入り込むことがありますよね。
でもアニメーションは、作らないと存在しない。描かないと存在しない。配置しないと存在しない、という世界なんです。
だから、ノイズは出てしまっていたんですけど、この作品を制作した当時は、「これは残しておこう」という気持ちであえて残しました。今だったら、多分消しちゃいます。
この作品は12年くらい前のものなんですけど、今はAIが出てきて、映像制作でもかなり使われるようになっていますよね。
今は「AIを使うかどうか」という論争がありますけど、10年くらい前は、それに近いテンションというか雰囲気で、「デジタルをどうするか」という空気があったと思うんです。
「アナログとかフィルムっていいよね」と言われる一方で、制作環境はどんどんデジタルに置き換わっていく。でもデジタルって、どこか淡白な表現に感じられていて、アナログのフィルムや紙の質感がしっかり見えていた作品と比べると、「デジタルってどうなんだろう」という空気感があったんですよね。
その中で僕自身は、紙に鉛筆や筆ペンで描いた手描きならではの質感を生かしながら制作をしていました。
一方で、編集のしやすさだったり、重ね合わせのようなデジタルだからこそできる表現だったり、そういう良さもうまく取り入れて作品に落とし込めたらいいなと思っていました。
ノイズの話でいうと、今でも紙のテクスチャというか、自分で撮影した紙を質感の素材として使うことがあります。
そのときも、さっき話した偶然性の話につながるんですけど、「直そうと思えば直せるけど、これはあえて直さないほうが味になるのかな」と思って残している部分があります。
今でも見返すと、「今からでも編集で直そうかな」と思うことはあるんですけど、そのときの自分の気持ちも大事にしたいので、「これはこのままでいこう」と思っています。
参加者C:
画面中央の少し左下あたりですかね。そこにコントラストの高い大きめのノイズというか点があって、時間が経つと、その少し上にももう少し大きなものが出てきますよね。
あそこがループのリズムになっているような感じがして、「これはAxi(s)Rhythmでいうところの"リズム"だな」と考えながら見ていました。
うえだ:
リズムというか、フィルムの一周分が繰り返されている感じが少しあってもいいかなと思っていて。
「ループ素材を使っていますよ」という雰囲気を、少し残しておきたかったというのはありますね。
参加者C:
全部ランダムにしようと思えばできることではあるんでしょうけど、あれはあれで、ちゃんと一定のリズムになっていたんですね。
参加者D:
先ほどお話に出たデジタルとアナログのお話もそうなんですけど、こういう手描きのテイストで作品を作るのって、すごく難しいと思うんです。
私自身も、どちらかというと避けているというか、あまりそういう制作はしようと思わないんですよね。
なので、こういう作品を見ていて、「こういう表現の仕方があるんだな」「手描きだからこそできる表現があるんだな」と感じました。
そういう意味では、見ていてすっと馴染むような作り方をされているのが、本当にさすがだなと思いました。
うえだ:
僕も今は、結構デジタル作画に移行している部分があるんですけど、やっぱり紙とかアナログって、それだけで情報量が多くなるんでしょうね。
改めて久しぶりに自分の作品を見返して、「やっぱりアナログっていいな」「紙っていいな」と、月並みですけど思いました。
作り方としては、基本的にはデジタルで描いているものをコピー用紙に描いているだけといえばそうなので、実はデジタルと比べてアナログがそこまで難しいかというと、僕個人としてはそうでもないかなと思っています。
ただ、そのアナログを最終的にはデジタルで編集するので、デジタル上でどう扱うのか、どういう処理をするのかという部分は、やっぱり考えるところではあります。
でも、描いていること、やっていること自体は一緒かな、となんとなく思っています。
もちろん、道具はちょっと面倒になりますけどね。スキャンもしないといけないし、物理的な紙を置くスペースも必要になりますし。
参加者E:
私は「少女」というキーワードを挙げさせていただきます。
見ていて、この主人公というんですかね、あの人物の頭が少し大きめに描かれているのが印象的でした。
途中から胎児のような存在が手のひらに現れて、そのあと激しい空間のような場所にも登場しますよね。
少女、そして胎児というモチーフから、私は命の始まりであったり、あるいは性的なもの――いやらしい意味ではなく、生の根源的なもの――を感じました。
そこがすごく印象的だったので、この少女や胎児というモチーフが、どういうところから生まれてきたのか、そのあたりをお聞きしたいと思いました。
うえだ:
やはり命というものは、この作品に限らず、ずっと置いているテーマなんです。
以前のAxi(s)Rhythmでもお話しさせてもらったんですが、小学生の頃から、生き死にみたいなことをずっと考えていて。
「死ぬってどういうことなんだろう」とか、「生まれてくるってどういうことなんだろう」とか、そういうことが、作品のテーマというよりも、自分自身の中にずっとあり続けているテーマなんです。
そういう部分と、アニメーションの「生きる」「生まれる」という部分とが、自分の中では割と必然的に結び付いて作品になっています。
頭の大きな少女というのは、当時の作画の癖でもあるんですけど、少女も胎児もそうですが、モラトリアムというか、まだ何者にもなっていない、これからどうにでも変化できる存在なんですよね。
言ってしまえば、中途半端な状態とも言えるんですけど、その状態が、自分の中ではアニメーションで描くモチーフとしてすごく腑に落ちたんです。
アニメーションの面白さって、「ものに命を与える」という部分もありますけど、特に手描きでは、形が自由自在に変化していく、いわゆるメタモルフォーゼ的な面白さが絶対的にあると思っています。
そのときに、まだ形が定まっていない存在として、胎児というモチーフはすごく象徴的なんです。
同時に、命が生まれてくる存在としても扱っています。
性的なものを感じたというお話もありましたが、そういう意味では、そのあたりも意識して制作していました。
〔2026年7月28日(土)オンラインミーティング より〕
【文責:Axi(s)Rhythm】



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