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『花に喩える』(三木はるか 監督)インタビュー&感想

  • 執筆者の写真: Keiji Takenaka
    Keiji Takenaka
  • 10月16日
  • 読了時間: 4分

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Axi(s)Rhythm:

作品制作の経緯についてお聞かせください。


三木:

三木はるかの作品を初めてご覧になった方もいれば、他の作品を観たことがある方もいらっしゃるかもしれません。私は毎回「自分自身のことを撮りたい」と思いながら映像を作っています。ジャンルで言えば「セルフ・ドキュメンタリー」と呼ぶと分かりやすいかと思います。自分に起きた出来事などをドキュメントするのですが、そこに嘘や冗談のような要素を交えてしまう――そんな作風です。

2010年ごろから年に1本ほどのペースで制作してきましたが、最初の頃は自分をどんどん前面に出していました。それが徐々に「自分を映さずに何かできないか」と考えるようになったのが2020年以降です。今回の作品はその試みの一つで、「自分は映らず、花束として存在してみよう」と考えて撮りました。

最後までご覧いただいた方はお気づきかと思いますが、エンドクレジットにはお花屋さんの名前や電話番号を入れています。映画の主役、あるいは私が映したかったものの一つは「お花屋さん」なんです。依頼に応じて「こんなものを作ってほしい」というニュアンスを受け取り、形にしてくれる。その技術は本当にアートだと思いますし、とても面白いと感じています。そうした部分にも注目していただければという思いもあります。


参加者A:

自分の価値というか、「自分はどんな人間か」ということは、自分で思っていることよりも、人からどう思われているか、どう見られているかの方が、むしろ正確で鮮明な情報だと僕は思っています。

そういう意味で、お花屋さんのイメージを借りて花束に自分を置き換えたり、肉親や友人たちに、自分について語ってもらう――僕自身はそういうことをしたことはありませんが、とても共感できるモノの見方だなと思いました。


三木:

「自分を他者に委ねる」ということを、これまで明確にやろうと思ったことはありませんでした。だからこそ、それを一つ映像にできたのは、自分にとってもとても面白い経験になりました。

映像にするかどうかは別として、自分をイメージした花束を作ってもらうという体験は、ぜひ皆さんにもやってみてほしいです。とても面白いので、おすすめします。


参加者B:

鈴木志郎康さんの詩に『花に喩える』という詩があるんでしょうか?


※鈴木志郎康(すずき しろうやす)1935年生まれ。詩人、映像作家。1963年頃から個人映画を作り始める。日記的な作品を多数制作する。 


三木:

鈴木志郎康さんの映像作品の中に、毎日を日記のように映像で記録している『極私的にコアの花たち』という作品があります。志郎康さんのご自宅には中庭があり、そこでたくさんの植物を育てているんですね。「今日はこれが咲いた」「これは枯れてしまった」といったことを映像の中で語っているのですが、途中でどこかから花束をもらってくるシーンが出てきます。そして「植えられている植物と花束は違うんだ」みたいなことを言っていて、「花束は人だよね」とボソボソと語るんです。それがとても印象的で、「この人にとって花束は人間なんだ」と思いました。そういう視点で見たら面白いなと感じ、私自身も花束を人間に喩えるということをやってみたいと思ったんです。


参加者C:

僕はこれまで「自分を表現する」ということをあまりやってこなかったので、とても勉強になりました。この作品は「自分を表現するフィルム」なのかなと思ったのですが、やはり自分を表現することができるというのは、それに耐えうる自分を築いてきたからこそできることなんだろうと思います。


三木:

映像に限らずですが、何かを表現したいと思う人の中で、「自分自身をありのまま見てくれ」と自信にあふれている人は、実はほとんどいないのではないかと思います。多くは「隠したい自分」を抱えていて、それをどうにか形にしている。もちろん自分自身を前面に出す人もいれば、まったく出さない人もいるでしょう。

今回の上映に応募してきている作家の方々も、きっと隠したい気持ちを多く抱えているのだろうなと感じました。私自身も、自分を表現することは面白いと思いつつ、カメラを向けるといっても、すべてをさらけ出しているわけではなく、見せたい部分だけを見せているのだけれど、表現を通じて自分を出したい、できるだけ多くを出したいという思いが常にあります。そうした気持ちが、この作品の形につながっているのだと思います。


参加者D:

監督が友人たちに「セザンヌ」って呼ばれてるのが何故なのか気になったので教えてください。


三木:

本当にくだらない話なんですけど、大学時代のあだ名が「セザンヌ」だったんです。なぜそうなったかというと、大学の時に男友達が、自分の気を引きたい女の子に「三木はるかは本当はフランス人で、名前はセザンヌって言うんだよ」と嘘をついたんです。その子の気を引くためだけに。それが浸透してしまって、大学時代はほとんど「三木はるか」という名前では覚えられず、私自身も「セザンヌなんです」と言って過ごしていました。触れていただいてありがとうございます。


〔2025年8月22日(金)オンラインミーティング より〕


【文責:Axi(s)Rhythm】

 
 
 

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