『ナントナクコノママ』(ないとう日和 監督)インタビュー&感想
- Keiji Takenaka
- 10月16日
- 読了時間: 5分

Axi(s)Rhythm:
作品制作の経緯についてお聞かせください。
ないとう:
私は普段、パソコンで絵を描いてアニメを作っているのですが、2018年にパソコンが壊れてしまい、いつものように制作ができなくなったんです。その時に原点回帰というか、「たまにはアナログでアニメを作ってみようかな」と思ったのが、この作品を作ったきっかけになります。
参加者A:
見ていてとても動きが気持ちよかったです。最初は直線的な変化があって、その後だんだんと有機的に、細胞が生まれ変わるような動きに変わっていく。動きのバリエーションだけでなく、リズム感も含めて、飽きずに何度も見たくなるような、とても魅力的な作品だと思いました。
ないとう:
そう言ってもらえて嬉しいです。本当に自分としては行き当たりばったりで作っているような感じなので、最初は少しぎこちなく作っている感じがあって、そこからだんだんおかしくなっていくような部分が出ていたのかなと思います。
参加者B:
そうですね やっぱりあの紙に鉛筆で絵を描くのは楽しいですから 素直に それをいっぱい書いてと動いてるアニメは楽しいなという風に思います。
Axi(s)Rhythm:
手描きのアニメーションは、その時の肉体の状態にも繋がっているように思うのですが?
参加者B:
人間の指というのは肉体の一部ではなく脳に直結している、だから指を使うのは脳を使うのと同じだ、という話があります。人間の指は感覚が鋭く、紙を1枚机の上に置いてスーッと滑らせても、紙と机のわずかな段差を感じ取れますよね。それは機械では測れないレベルですが、人間の指にはわかる。指を動かすことは頭のトレーニングになり、同時にイメージを広げていく部分があるのだと思います。マウスやペンタブでも似た部分はありますが、鉛筆では圧力がかけられます。筆ほどではないにしても、力をかければ太く、弱めれば細くなる。そういうものと格闘しながら動きを作っていく楽しみがあるわけです。同時に絵も見えてきて、頭の中のイメージと組み合わさって、いろいろな広がりを生むと思います。
一方、3DCGは陶器を焼くことに近い部分があって、設定して指示を出し、出来上がりを待って判断する。陶芸でも粘土をこねて作り、窯に入れて焼き、気に入らなければ職人が割ってしまうような、そういう感覚に近いと思います。
Axi(s)Rhythm:
面白い比較です。
ちなみに手描きの工程は、ないとう監督にとって重要と思われますか?
ないとう:
どうでしょうね。当時制作していた時のことを、先ほどのお話を伺いながら思い出していました。できるだけ楽してアニメを作りたいと思っていた部分があって、お金もかけずに済ませたいと考えていたんです。そこでA4サイズの白い紙を4つ折りにして、メモ帳くらいのサイズに小さくしたんですよ。それならすぐ描けるかなと思って。紙を4つ折りにして切れば4枚できるし、と。それでずっと描き進めていったんですけど、終わりどころが分からないまま気づけば千枚くらい描いていました。
最初は「楽して作りたいな」と思っていたのが、いつの間にか苦労していて。絵を描くのも大変ですが、その紙を4分割に切るのも結構大変で。お金をかけたくないと思っていたのに落書き帳を買い足すことになってお金もかかるし、家にある筆記具だけで制作しようとしたら、色鉛筆がどんどん削れて小さくなったり、ペンのインクがなくなったりして困ったり。そんなことをいろいろ思い出しました。
それに千枚描いても、映像にするとすぐ終わっちゃうんですよ。ループしている部分も結構ありましたし。なんというか、割に合わないというか、楽したかったのに苦労したなと思ったりして。まあ、楽したかったらアニメなんて作らないですよね。そもそもなんですけど。不思議な体験だったな、と自分の中で改めて思い出しました。
参加者C:
アナログで描いた場合は、デジタルで描いた場合と比べて出力の時差がないという点があります。紙に鉛筆で描けば、その場でリアルタイムに紙の上に絵が現れるわけです。今はパソコンの性能がかなり良くなっているので、デジタルのペンタブでも時差をあまり感じませんが、昔はスタイラスを動かすと少し遅れて線が出ることがありました。そういう微妙な差も影響するのかなと考えました。
また、紙を4分の1に切ったというお話を聞いて、紙のテクスチャが魅力的にうねうねと動いて見えることがあり、「なるほど、虫眼鏡で拡大されたような効果になっているんだな」と思いました。
ないとう:
そのメモ帳サイズの話ですが、最初はメモ帳サイズならすぐに描けていいかなと思ったんですが、だんだんそのサイズでも結構しんどくなってきました。次に作った『Oh K? No』という作品は、本作で余った紙を使って制作したんですけど、その『Oh K? No』は、本作で使用したメモ帳サイズの紙をさらに半分に折って作った作品になっています。そちらの方は、まだ何とか楽かなという感じで作れました。
参加者D:
やっぱり手書きの線がすごくよく見えるので、色を塗っているところなどに色鉛筆の力加減がよく表れているんですね。もちろん丁寧に塗ることもできると思うんですが、そうではなく、鉛筆の濃淡や勢いよく塗っている感じが監督の精神状態を表しているんじゃないかなと思いながら見ていました。先ほど仰っていた「楽をしたかったけど、意外とそうはいかなかった」というのもあったと思うんですが、それ以外に何か感情が込められていたら教えていただきたいです。
ないとう:
多分その色の塗りムラや勢いも含めて、あまりこだわりすぎると時間がかかってしまうので、行き当たりばったりで作ったという感じですね。私の場合は…。
参加者D:
先ほど指の話も出ましたが、監督が思っている「アニメはこういうものだ」という考えや、「うまくいかない」という、もやもやしたものが宿っているように感じました。
〔2025年8月22日(金)オンラインミーティング より〕
【文責:Axi(s)Rhythm】



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