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『タダシイとけい』(石井善成 監督)インタビュー&感想

  • 執筆者の写真: Keiji Takenaka
    Keiji Takenaka
  • 10月16日
  • 読了時間: 4分

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Axi(s)Rhythm:

作品制作の経緯についてお聞かせください。


石井:

この作品は、もともと2014年に開催されたNHKの「ミニミニ映像大賞」という、今はなくなってしまったコンクールに応募した際に制作したものです。そのときの公募テーマが《時》だったので、時計をモチーフにした作品を作ろうと思いました。

僕にとって写真は「瞬間を切り取ったもの」、映像は「時間を切り取ったもの」ですが、写真をつなげて映像にするコマ撮りという手法は「時間のパッチワーク」だと思っています。そこで、実際に電池を入れて動くリアルタイムの時計をコマ撮りの時間軸に置くことで、そのパッチワークの時間を可視化し、さらにそれをストーリーに組み込もうとしました。

コマ撮りではシャッターを切るタイミングが場面ごとに異なるため、時計の針がめちゃくちゃに動いて見えます。作品の中では時計が狂ったような動きを見せ、それに翻弄される主人公のロボットの姿を通して、コミカルさや不条理さを表現してみました。


参加者A:

僕自身、今回出品した作品でも「徒労感」のようなものをテーマにしていたのですが、本作『タダシイとけい』からも同じような印象を受けました。タイトルからも想起されるように、時計を正しく動かそうとするロボットが登場します。奥には壊れたロボットがあり、同じように試みた痕跡が見える。つまり、先人たちが時計を正しく動かそうと繰り返し試みてきたことが示されていて、そこにまた新たなロボットが現れる。でも、これも結局は徒労に終わるのだろうなという予感がずっと続く感覚があるんです。

その感覚は、アニメーションという表現形式そのものと重なるように思いました。コマが回り続けることで終わりがない――実写もそうではありますが、とくにアニメーションではそれが可視化される。それが物語と連動して、一層徒労感を煽る表現になっていたと感じました。


石井:

背景に置かれていた壊れた錆び付いたロボットについてですが、当時は単純に「画面が寂しいな」と思って配置しただけだったんです。ところが数年後、本当におっしゃる通り「徒労感」をテーマに、同じデザインのロボットを使った全く別の作品を制作しました。

もし機会があれば、今後その作品もAxi(s)Rhythmにエントリーしようと思っていますので、楽しみにお待ちいただければ嬉しいです。


参加者B:

人形アニメをワークショップで教えることがあるのですが、その際には「関節はこう作って、針金をこう入れて…」といった話をします。人形を立たせる方法としては、足元の地面をコルクにして釘で固定する方法や、足の裏に磁石を埋め込み鉄板の上に立たせる方法などがあります。

この作品のロボットを見ながら「どうやって立たせているのだろう」と考えていたのですが、おそらく下に鉄板を置いて、足の裏に小さなネオジム磁石を埋め込んでいたのだろうと思いました。実際、終盤で人形がひっくり返ったときに埋め込まれた磁石が映っていて、「やっぱりそうだったのか」と納得しました。

また、一般的に人形アニメは斜め上から撮ったカットが多い印象があります。これは人形が小さいためだと思うのですが、見上げるようなショットや、ウエストレベル、つまり人形と同じ目線で撮るショットがあっても面白いのではないか、と考えながら観ていました。


石井:

カメラはずっと定点のままでしたが、高さとしては人形の目線にかなり近い位置で撮っています。当時はあまり性能の高くない、制限のあるウェブカメラを使っていたのですが、小さなカメラだったからこそ、そうしたポジション取りができたのだと思います。

現在はスマホを仮想カメラとして撮影することもあり、その点での取り回しの自由度は当時とあまり変わっていません。ただ、作品によってはかなり自由度の高いカメラワークを使うこともあれば、そうでないこともあります。

また、先ほどご指摘いただいた「足裏に磁石を仕込む」方法は、個人的にも気に入っている手法です。同じデザインのロボットが登場する別の作品でも同じように磁石を仕込みましたが、そこでは足裏が見えても磁石が見えないように工夫を施すなど、今回の作品より改善を重ねています。


参加者B:

タイトルのカタカナとひらがなが、とっても面白い配分だと思いました。


石井:

大事なことを言い忘れていました。ありがとうございます。

タイトルで「タダシイ」をカタカナにしているのは、「正しい」という言葉の不安定さを表したかったからです。「正しい」と聞くと一見絶対的な響きがありますが、実際には人によって、国によって、文化によって「正しさ」は異なります。

たとえば、貨幣価値が全く違うのにドルを介入させたことで市場が崩壊したジンバブエの例や、西洋的な価値観で国境を引いた結果、紛争が泥沼化しているイスラム圏の例もそうです。そうした、前提条件のまったく異なる世界に別の「正しさ」を持ち込んでしまうことで、かえって混乱を招くこともあります。

そういう意味を込めて、「正しい」という言葉をあえてカタカナで「タダシイ」と表記しました。


〔2025年8月22日(金)オンラインミーティング より〕


【文責:Axi(s)Rhythm】

 
 
 

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