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『響想詩「崩の響影」壱』(山里ぽん太監督)インタビュー&感想

  • 執筆者の写真: Keiji Takenaka
    Keiji Takenaka
  • 5月6日
  • 読了時間: 7分


――『響想詩「崩の響影」壱』を制作されたきっかけ、経緯について教えてください。


山里:

昔、フィンランドを旅していたときのことです。地方の小さなパブに入って、オーダーして待っていると、すぐ後ろで「ガシャーン!」とグラスが割れる音がしました。驚いて振り返ると、ウェイターさんがほうきとちりとりを使って、割れたグラスを片付けていました。

後日、現地に住んでいる日本人の方にその話をしたところ、「フィンランドでは、物が壊れるのは幸運が訪れる前触れだよ」と教えてもらったんです。その時に気づきました。ウェイターさんは、グラスを一つ割って、僕に幸運を運んでくれたんだ、と。

今回のフィルムをご覧になった方はお分かりだと思いますが、たくさんの物が壊れるシーンがありました。ですから、このフィルムを観てくださった皆さんには、幸運がたくさん訪れます。おめでとうございます。観てくださってありがとうございました!


――鑑賞された皆さんに、作品を観て思い浮かんだ言葉、感想などをお聴きしていきます。


感想1:

まず、作品に登場したヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)について調べたところ、「ホルスの目」という、癒しや再生を象徴するマークであることが分かりました。このマークが現れては崩れ、また現れては崩れていく様子にフォーカスが当たっているように見ていました。最初は「希望」や「夢」、「愛」といった個人的でミクロな単語だったのが、作品が進むにつれて、「権力」や「繁栄」といったよりマクロで集団的なものへと移り変わっていくのを感じました。破壊と再生を繰り返しながら、少しずつ成長し、物事が進展しているように見えました。同じことを繰り返しているようでいて、徐々にプラスの方向に進んでいるように感じ、それがまるで人生を表しているかのように思いました。例えば、挫折や何かを失った後にこそ、本格的に立ち向かう瞬間が訪れるといった、人生とか、人間の発展の歴史を表わしているのかなと考えさせられました。

また、メロディーに合わせて文字やマークが崩れるというシステムについては理解できても、曲自体を聞いていかないと、システムがどこで発動するのか想像できないところに意外性、それは、システム漫才のように来ると分かっているのに笑ってしまう、システムは理解できるけど結局面白いみたいなのが、すごく楽しく拝見できました。


感想2:

1回目に観たとき、途中で「あ、これは楽譜なんだ」と気づき、驚きましたね。それに気づかなかったのは、普通の楽譜とは違い左右反転して進んでいたからだと思います。この逆さまというのが、この作品のポイントかもしれません。また「ホルスの目」が登場し、目と目の間が1小節になっているのではないかと感じました。

作品内で自己啓発本に出てきそうな二文字熟語が、色気のないフォントで登場し、それが次々にパリーンと割れていくシーンがありました。これは、山里監督の意図とは異なるかもしれませんが、シャンパングラスが登場して割れていくことから、シャンパンタワーとかにあらわされるように、シャンパングラスが虚栄やヴァニティの象徴として描かれているのではないかと思いました。

最後に「うつしよ」という言葉が出てきます。調べてもはっきりとした意味は分からなかったのですが、私は「本物の世界があり、それが写し取られた仮の世界」という解釈をしました。つまり、空虚な世俗的なものよりも、真実を追求するべきだというメッセージが込められているのではないかと考えました。ただ、先ほどの山里監督のお話を聞くと、私の解釈は違うのかもしれませんね。


感想3:

先ほど監督のお話を伺い、「だからシャンパングラスが割れるんだ」と、やっと納得がいった気がします。ストーリーのない映像に対して、どう感想を抱けばよいのか、正直なところ少し分かりにくい部分がありました。しかし、監督の説明を聞いて初めて意味が繋がった感じがします。作品の中で音に対応して物が壊れていく様子や、グレーなタッチが続くところに、何か「うつろ」なものを感じていました。タイトルもそのような印象を受けていたので、監督が「これは幸運を呼び寄せる」とおっしゃった時には、少し驚きました。「本当に?」という気持ちが少しありつつも、そう言われるなら信じて、明日がいい日になることを期待しています(笑)。

静かな音とともに淡々と展開されるアニメーションは、とても落ち着いた気持ちにさせてくれました。最後にふさわしい締めくくりで、今、心が穏やかになり、ちょっと眠くなってきたくらいです。とても落ち着かせていただきました。ありがとうございました。


感想4:

以前の作品を観たときの印象を思い出しながら、今回の作品を鑑賞しました。特にホルスの目のシーンでは、どんな意図が込められているのか、とても引き込まれるものがありました。観る人の中には事前にホルスの目の意味を調べてから観られた方もいたそうですが、観る人に何かを考えさせる要素が巧みに投げかけられていたと感じました。

また、シャンパングラスやホルスの目が崩れ、水面に落ちていく様子がとても儚く感じられました。先ほどお話にあった「物が壊れることで良いことが起こるように」という考え方はとても面白いですね。日本にも同様の習慣があるようで、京都の壬生寺では、瓦を割って厄除けを行うお祭りがあるそうです。私は今、そのお祭りが行われる場所の近くに住んでいるので、一度勧められたことがあります。まだ参加したことはないのですが。

それはさておき、物が壊れることで厄除けになるという考え方は日本にも存在していて、その背景が非常に興味深いです。作品を通じて、映像だけでなく、民俗学的な視点からも考えを深めていけるのではないかと思いながら観ていました。


感想5:

フィンランドについてのお話も伺い、「なるほど」と興味深く感じました。CGで表現されているのに、まるで絵巻物のような趣があり、ものの哀れを感じさせる美しさがありました。夢や愛といったものが消えていく一方で、権威や栄光といったものも同じく消えゆく様が描かれており、良いことも悪いこともすべてが過ぎ去る「栄枯盛衰」のようなものを強く感じ、色々考えさせられる作品でした。

また、崩壊していくシーンでは、水面の表現も相まって、CGでありながら日本的な美の要素も感じられ、非常に面白い作品でした。もしモノクロで表現された理由があれば、ぜひお伺いしたいです。


――いろいろな感想をいただきましたが、いかがでしょうか?

ご感想ありがとうございます。まず、「フィンランドでは物が壊れることが幸運につながる」という話に関連して、縄文時代の土偶について思い出しました。土偶のほとんどは壊れた状態で発見されることが多く、厄災を払うために壊したり、安産祈願とかもあったのかと思いますが、古くから日本にも似たような風習があったのかもしれませんね。

また、今回の作品をモノクロにした理由についてですが、実は最後のシーンに出てくる小さな炎だけが唯一色付けされています。このモノクロにした演出には、風刺的な意図を込めています。すべてを解説してしまうと面白さが減ってしまうので控えさせていただきますが(笑)


――画面の方向性についての感想がありました。

仰っていた通り、まさしく楽譜なんです。例えば、物が画面の左側から出てきて右側に向かっていくような動きです。これは、タロットカードの構図を意識していて、画面の左側が過去、右側が未来を示しています。また、手前が現在や目に見える世界、奥が目に見えない世界を表しているのです。だから過去から現在へと向かい、現在の位置で終わる。そんな構造になっています。


――ちょっと絵巻物のような感じもしました。

絵巻物で思い出しましたが『太陽の王子 ホルスの大冒険』、高畑勲監督の作品ですが、彼は絵巻物の視点で演出されたりします。ホルスが崖から突き落とされて、川を流れていって、村にたどり着くというシーンがあります。あれが「右から左へ」なんですね。正しく絵巻物の演出になっています。


感想6(追加):

右から左、左から右への流れ、そして移動しながらモノが壊れていく。以前の上映作『響想詩「空の響影」四』でも、手前から奥への移動が特徴的でしたので、監督が“移動”という要素に特別なこだわりをお持ちなのだと感じます。また、一定のペースで同じように動き続けることで、「移動」に対する探求をされているようにも思えました。


――「移動」について思われることは?

今年2月の「Animation Runs!」で上映していただいた『想の響影 壱 SPECIAL EDITION』では、あまり移動の要素はなかったかと思いますが、ただ、もしかすると私の心の奥底に、移動に対するこだわりがあるのかもしれません。というのは、幼い頃から電車や汽車が好きで、乗ることがとても楽しみでした。その経験が、どこか心の奥深くに刻まれているのかもしれませんね。電車に乗って移動する風景みたいなものが、魂の奥に刻まれているかもしれません。



〔2024年8月7日(水)オンラインミーティング より〕


【文責:Axi(s)Rhythm】

 
 
 

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